雑学

歴史上人物の意外すぎる逸話 #2 近代ヨーロッパ編

どうも。

前回は日本の歴史上人物について、色々と意外な逸話を取り上げました。元々アイドルの話題が中心だからか、アクセス伸びなかったですけど(汗)

と言いつつも個人的に好きな話なので、今日もこのシリーズをお送りします。今回は近代ヨーロッパ編です。

ゆっくりしていってね〜

今回もなかなか強烈よ。

オットー・フォン・ビスマルク 

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ドイツ統一の功労者

オットー・フォン・ビスマルク(1815年〜1898年)は、当時バラバラに分かれていたゲルマン民族の国々を統一し、ドイツ帝国の建国に大きな役割を果たした人物です。

元はといえばプロイセンの政治家であり、同国の軍拡を訴えた際には、かの有名な「鉄血宰相」なる異名をつけられました。

借金と決闘を経験(1回とは言ってない)

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若い頃から破天荒な性格だったビスマルク は、大学時代に25回もの決闘を経験しています。当時は決闘そのものが珍しくなかったものの、これほど多く決闘をした人物はいなかったかもしれません。

また、女性と遊ぶお金を稼ぐためギャンブルに手を出し、多額の借金をしたこともあるそうです。

アドルフ・ヒトラー

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最も有名な独裁者

アドルフ・ヒトラー(1889年〜1945年)は、第二次世界大戦でナチスドイツを率いた政治家です。

独裁者の典型としても知られており、多くのユダヤ人が犠牲となった「ホロコースト」も、ヒトラーの下で行われました。

マイナスなイメージの大きい歴史上人物として、世界的に有名ですね。

ニートだった

Photo by ぱくたそ

独裁者のイメージばかりが浮かびがちですが、若い頃に父親の莫大な遺産を相続したため、一時期はニート状態だったそう。

また、学校の成績が芳しくなく、退学させられた経験もあるようです。

ちなみに若き日のヒトラーは浮浪者同然ながらも画家志望で、ヒトラー本人が描いた風景画も数点残されています。

しかし「下手でもなければ、卓越して上手いわけでもない」と評されがちな腕前だったからか、美術学校を3回不合格になってしまいました。もし合格していたら、画家として有名になっていたかもしれません。

浮浪者のおっさんならぬ、浮浪者の兄ちゃんだったのかぁ…

分かる人にはすぐ分かるホモネタやめなさい

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト

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神聖ローマの大音楽家

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト (1756年〜1791年)は、知らない人の方が少ないレベルで有名な音楽家です。

代表曲「トルコ行進曲」は、現代でも多くの人々に知られていることでしょう。

父親も音楽家だったこともあって才能に恵まれていたようですが、35歳の若さでこの世を去っています。

ラブレターでウ○コを連呼

Photo by Photo AC

数々の名曲を生み出し、その後の古典派音楽にも影響を与えたモーツァルトですが、変わった人物としても知られていました。

それを物語っているのが、従妹に宛てたとんでもない内容の手紙です。一時期、ネットでも話題になりました。

それがこちら。

…ごきげんいかが?どんな服をきてるの?-お通じはまだいいかい?
(中略)
ぼくらのお尻を和平条約調印のしるしとしよう!たぶん、きみはもうぼくに抵抗できないと思っていたよ。そう、そう、ぼくのあれは元気です。二週間後にはパリへ立つけど、きょうもひとクソたれておこう。もし、そちらのアウクスブルクの町から返事をくれるつもりなら、ぼくが受け取れるように、早く書いてね。でないと、ひょっとしてぼくがもう立ったあとだと、受け取るのは手紙の代わりに一通のウンチ。ウンチだ!-ウンチだ!おお、ウンチ!-ああ、なんて苛い言葉だ!ウンチ!-ポンチ!-こりゃうまい!-クソミソ、くらえ!ークソ!ーなめる-ああ、おいちっち!ークソ、なめる!-こりゃ快感だ!-クソッタレ、くらってなめろ!-ウンチ、ポンチ、クソ、なめる!マンハイム、1778年2月28日)ヴィクトリア

Twitter より引用

当時は下ネタのようなしょうもないネタが流行っていたと聞きますが、それでも想像の斜め上を行く内容ですね。

この逸話は、テレビ番組「トリビアの泉」でも取り上げられました。

ひ ど す ぎ る

この手紙届けた人、えらい労力の無駄遣いだったわね…

ジャン=ジャック・ルソー

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『社会契約論』でおなじみの有名思想家

ジャン=ジャック・ルソー(1712年〜1778年)は、『社会契約論』や『人間不平等起源論』などで知られる思想家で、『エミール』という小説風教育論を発表したことでも有名です。

特に『社会契約論』は現代民主主義の根本となるもので、教科書でも見かけた人が多いのではないでしょうか。

露出狂だった

Photo by ぱくたそ

社会に強い影響を与えたルソーですが、露出癖や被害妄想、マゾヒズムの持ち主でもあったようです。

このことはルソーによって書かれ、死後に出版された自伝『告白(上)』の中で公表されています。

露出狂といえば、現代でも度々不審者情報を通して認知されている存在ですが、200年以上も前に全く同じことをしていたのです。

また、ルソーは5人の子宝に恵まれたにも関わらず、その全員を孤児院送りにするなど、様々な面で人間性を疑われる裏の顔があったと伝えられています。

変人系の逸話としてはルソーが1番強烈ではあるんですが、ごもっともだと思った名言を見つけたので載せておきましょう。

私たちは無知によって道に迷うことはない。自分が知っていると信ずることによって迷うのだ。

ジャン=ジャック・ルソー

自然に帰れ(名言)(意味深)

リヒャルト・ワーグナー

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“あのBGM”でおなじみの音楽家

リヒャルト・ワーグナー(1813年〜1883年)は、『ワルキューレの騎行』や『婚礼』といった名曲を生み出した音楽家です。

特に『ワルキューレの騎行』は現在でも色々な所でBGMとして用いられています。曲名を知らなくても、誰もが絶対に1度は聴いたことがあるでしょう。

ワルキューレの騎行

借金を踏み倒しまくった

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ワーグナーは凄まじい浪費癖があり、収入がしっかりとあってもすぐにお金を使い込んでしまっていたそう。なので、四六時中貧困状態だったといいます。

おまけに借金もかさんでしまい、「借りては夜逃げをして踏み倒す」を何度も繰り返してしまったんだとか。

また、パトロン(スポンサーのような存在)の妻と不倫をしたことも1度や2度では済まなかったそうです。

お金と女性関係にだらしなかったという、肖像写真の厳格そうな雰囲気からは想像できない逸話でした。

オチ

前回の近代日本編に続き、近代ヨーロッパ編でお送りしました。

次は中世ヨーロッパか、一つの国に絞った上で面白い逸話を取り上げていこうかと思います。

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