全ての人間が持つ、先祖という過去の時代を生きた人々。
自分自身、幼少期から「自分の先祖って、どんな人だったんだろう?」と思っていました。
家によっては家系図がしっかり作られていて、気軽にその情報が分かったりしますよね。
我が家にはまだなく、祖母に「そのうち」家系図を書いてもらおうと思っていたんですが、認知症が進行してしまい不可能に。
というわけで、
と意気込み、実家の家系図作りに挑戦することにしました。
その結果、200年近く前の先祖の存在が明らかとなり、さらには今まで知らなかった意外な事実を知ることに。
今回は、その模様を書いていきます。
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1.戸籍を取れば、誰でも○○時代まで遡れる
家系図作りにまず必要なのは、「戸籍を限界まで遡る」ということです。
誰がいつどこで生まれたか、誰が親なのかなどの情報が記載されているものですね。
歴史で見れば大昔からありますが、今現在に続く戸籍は1886(明治19)年に作られた明治19年式が最古のものとなります。
実際には1871(明治4)年に作られた壬申(じんしん)戸籍が最古ではあるんですが、これには戸籍の人物の身分も一緒に記載されています。
位の高かった人はいいとして、場合によっては被差別身分であったことがわかってしまうこともあるため、閲覧することはできません。
しかし、先述の明治19年式戸籍までは見られるということから、誰でも江戸時代末期の先祖を知ることができるわけです。
ただし、災害や戦争などの影響で戸籍が消失している可能性もゼロではない点に注意しましょう。
というわけで、自分もこの範囲で遡ることのできる限界まで調べてみました。
2.戸籍調査で○代前まで明らかに
自分の戸籍を取るところから始まり、1代ずつ遡っていきます。
今回調べたのは、父方の先祖。
名前や生没年月日、本籍地(どこにいたのか)といった点を中心に調べ、それをヒントに先代を調べていくというやり方です。
ちなみに、元々聞いていた先祖や家系に関する情報がこちら。
- 曽祖父の名前(漢字表記不明)
- 曽祖父はあまり長生きではなかった
- 理由は不明なものの、100年近く前に石川県から北海道へやってきた。ちなみに母方も新潟県から来たので、完全に北陸系移民(?)の家系
- 石川県では旅館をやっていた。ただ、県内のどのあたりかは不明
たったこれだけです。
祖父の家に曽祖父の肖像画があるものの、「あー、やっぱ自分に似てるなあ」と思った程度にしか触れていなかったので、当然と言えば当然かもしれません(汗)。
さて、こんな状態から先祖を探っていきます。
なお父や祖父など、存命中の人物の個人情報は伏せさせて頂きます。あしからず。
スタート地点:自分(末裔)
まず最初は、他でもないこの自分から。
引越しの手続きか何かで取得したものがあったので、お金をかけて取りに行かずに済みました。
高志(たかし)というのが自分の名前。
1997(平成9)年、北海道釧路市生まれ。
超シンプルな名前だからか、趣味繋がりの方々から「本当にたかしさんなんだ!」とビックリされがち。
はい、本当にたかしです。
んで、筆頭者として父Yの名前も載っています。
1代前:父
父親に関しては特に不明点がないため、これといって調査しませんでした。
1961(昭和36)年、北海道釧路市生まれ。
一応は約60年遡ったことになります(もう親父もそんな歳か…)。
2代前:祖父
曽祖父の戸籍を取るにあたり、自分と本人との繋がりを役所に証明する必要があると判明。
つまり、自分の戸籍(自分と父の記載あり)と祖父の戸籍(父と祖父、曽祖父の記載あり)が無いとダメということに。
戸籍を見ずとも祖父のことは十分知っているものの、このように曽祖父の戸籍を取るために必要なので役所へ請求。
祖父は1931(昭和6)年、自分や父と同様に北海道釧路市生まれ。
あまりはっきりしていなかった、祖父の兄弟関係が明らかになりました。
それと同時に、父母の欄から曽祖父母の名前が判明。
九市(くいち or きゅういち)という名前で、以前から聞いていた通りでした。
というわけで、祖父の生年月日もしっかり確認したため90年遡ったことになります。
3代前:曽祖父
いよいよ曽祖父の戸籍に到達しました。
1890(明治23)年、石川県江沼郡動橋村(現在の石川県加賀市動橋町)で生まれ、1932(昭和7)年頃に兄を本家として分家していたことが判明。
加賀市…!?
自分のルーツが意外にも推しキャラの名前と関係していたという、ヲタク特有の反応をしてしまいました(汗)。※推しキャラ→空母「加賀」の擬人化→空母名の由来がこの「加賀」地域
完全なる先祖探しで当サイトに来てくださった方すみません。元々アキバ系ヲタクのサイトなもんでして…。
それはさておき、家族から聞いていた「先祖は石川県から来たらしい」という情報は事実だった模様。
つまりこの人が石川県から移民として北海道東部へ渡った、我が家で最初の北海道民ということになります。
なぜ故郷から遠く離れた北海道に移り、そこを終の住処としたのか。その理由を示す言い伝えや資料がなく、謎のままです。
それにしても、なんだか映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー3」を思い出しますね。
アイルランド移民の先祖を持つアメリカ人の主人公が1885年の西部開拓時代へ行き、当時まだ赤ん坊だった曽祖父を見て「君が僕のひいおじいさんで、マクフライ家初のアメリカ生まれか」って言ってたシーン。
自分に置き換えれば1890年の石川県へ行って、赤ん坊の曽祖父に会えば似た感じで再現できるじゃんみたいな(デロリアン必須)。
話を戻して戸籍を読み進めていくと、「1935(昭和10)年に札幌の病院で亡くなった」との記載があります。
家族に詳しく聞いたところでは、曽祖父はかなりの大酒飲みだったらしく、それが原因で病気になり45歳で亡くなってしまったそうです。ひ孫の自分は一滴も飲めないんですけど…。
なぜ北海道東部にいたのに札幌で亡くなったのかと疑問でしたが、まだしっかりとした医療機関が札幌のような大都市にしかなかったからと考えるのが自然でしょう。
それにしても、祖父からすると4歳の時に父親を亡くしているわけなので、なんだか複雑な気持ちになりました。
そして新たにわかったのが曽祖父の親、つまり高祖父の名前。九平(くへい or きゅうべい)というらしいですね。
とすると、曽祖父の代まで「九」の字をずっと受け継いでいたんでしょうか?
さて、確定した範囲で見るとこの時点で130年遡ることができました。
4代前:高祖父
実家のある北海道釧路市では、曽祖父までの戸籍しかありませんでした。
高祖父から前の代はみんな石川県で一生を過ごしていたと思われるので、まあ当然ですね。
そこで、戸籍の請求先は一族が元いた石川県江沼郡動橋村に。
現在の石川県加賀市にあたるため、加賀市役所から郵送してもらいました。
「卯三吉」という名前を修正するかのように、高祖父である九平の名前が。
これは高祖父の幼名的なものなのか、はたまた別な誰かなのか。
この点は謎のまま置いておくとして、高祖父は1859(安政6)年生まれであることが判明しました。
160年以上遡ったことになります。
ついに江戸時代まで来ましたね。誰でも幕末まで調べられるというのは本当のようです。
まさかの5&6代前も判明!?
戸籍でわかる先祖は4代前の高祖父が限界かと思われたんですが…
そうです。なんと一気に6代前の先祖まで判明するという、まさかの衝撃展開に。
5代前の先祖は九衛(つねもり or ひさもり)、さらに6代前は平四郎(へいしろう)と書いてあります。
九衛については生没年月日もしっかりと記載があり、1832(天保3)年に生まれて1912(明治45)年に満79歳で亡くなったようです。
なんと190年ほど遡れたことになります。
平均寿命が40歳代だったこの時代に80歳近くまで生きていたとは、長生きだなあとびっくり。
90歳を迎えた祖父が今でも健康で聡明な理由がわかった気がします。
そして6代前の平四郎は、この戸籍が作られた1886年頃にはすでに亡くなっているようで、ギリ解読できる名前以外の情報は見つかりませんでした。
1832年に九衛が生まれた時に30歳前後だったとすれば、平四郎は1800年前後、1700年代生まれの可能性も出てきます。
生年月日の情報さえあれば220〜230年ほど遡れたことになるので、そこが少し悔しいです。
戸籍でわかる範囲ではここが限界なので、平四郎の情報や7代以前の先祖は寺の過去帳を調べるといった別な方法が必要になっていきます。
3.ざっくり家系図を書いてみた
これまでに調べて判明した先祖について、ざっくりと家系図を書いてみました。
自分を含めると、これで我が家の7代が判明したことになります。
祖父でさえ自分の父親(曽祖父)についてほとんど知らなかった状態から、なんとその曽祖父の曽祖父まで明らかに。
ずっと前から名前に九の字が付く家系だったのかと思いましたが、これは「九衛、九平、九市」と、1800年代生まれの3代のみだったようです。
なぜ6代前の平四郎が始めて3代前の九市がやめたのか気になるものの、情報がないため真相は謎のまま。
そんなこんなで男子7代にわたって血が受け継がれていき、末裔がこれ、と。
今回の調査によって、少なくとも1700年代末頃〜1800年頃には加賀藩領(現在の石川県加賀市付近)で暮らしていた家系であることがほぼ確定しました。
いつか現地へ赴いて、さらに調査を進める必要がありそうです。
当然6代前の平四郎にも親がいて祖父母がいて…と、まだ名前すらわからない先祖もいるわけなので、どんな名前でいつ生まれ、どのように生きていたのかが非常に気になります。
なんとか右衛門みたいな名前が出てくるかもしれませんね。
もしかしたら「〜守(〜のかみ)」みたいな、ミドルネーム的な名前の先祖も出てきたりして(武家や上流階級ではなかったはずなのでほぼありえませんが…)。
まあとにかく、本当にロマンがあって面白いです。
まとめ
今回取り上げた通り、基本的には誰でも戸籍の範囲で4〜6代ぐらい前までの先祖について知ることができます。
明治19年式戸籍が作られた時点で5代前あたりの先祖がまだ幼かったりと、先祖の生まれたタイミングによっては7代前までわかる家もあるかもしれませんね。
お寺の過去帳なども残っている家であれば、戸籍の範囲からさらに遡って1700年代前半あたりまで判明するケースもあるそう。
その辺は、実際に調べるまでわかりません。
今回の調査を通して、100年ほど北海道にいる家系に生まれた身としては、やはり移民の子孫なんだなと実感すると同時に「先祖は何という名前で、どこにいたんだろう?」という謎が少しずつ解明できていったので面白かったです。
ちなみに戸籍は古いものから日々廃棄されており、除籍から150年という期限があるものの早めに取得しておくことが推奨されています。
役所が遠方で請求しに行けないという場合は、郵送で請求することができるので心配いりません。
埼玉在住(調査当時)の自分が石川県へ請求した際は、往復4日ほどで戸籍が届いたため、想像以上に気軽さを感じられました。
少しでも自分の先祖が気になるという方は、ぜひやってみてください。