アイドルに顔や名前を覚えてもらうことを意味する「認知」。
推しの認知が欲しいという人も少なくないはずです。
自分もそうですけどね。
今回は「ついに認知もらった感じかな(歓喜)」となってから変わったことや、感じたことを書いてみます。
1.自分の存在を知ってもらえる嬉しさを感じる
推しの認知が欲しいという人は少なくないはずだし、認知をもらうと誰もが喜ぶはず。
やはり、推しが自分の存在を知ってくれていることへの嬉しさが根底にあると思います。
というか、これが全てかもしれない。
ステージ上でパフォーマンスをしていたり、時にテレビを出ていたりと、推しは芸能方面の人。
その人が一般人である自分を知っているとなれば、誰もが不思議な多幸感的なものを感じるんじゃないでしょうか。
2.一方通行感が軽減する
これはどうもイタいというかクサい言い方なので、書くのを躊躇しました。
ヲタクは推しのライブやコンテンツを観たり、特典会に参加したりするのが活動ですよね。
そこでどれだけ推しに熱中してエモさ全開の感想をしたためても、それだけではどうも物足りなさや寂しさを感じる気がします。
単なるこちらの一方通行状態のような。
ヲタ活開始当初はいつもそう思っていたので、
「ヲタクを認知するのがアイドルの職業ってわけじゃないんだから、贅沢な悩みだったよな…」
と思います。そんな前の話じゃないけど。
でも結局のところ、今となっては大体の推しから認知をもらえた(と思う)状態なので、そう悩むことが減りました。
しかしレスポンスを受けられるようになったからこそ、一方通行感が軽減された気がします。
3.続編のある会話が出来る
認知がない状態だと、その日だけで終わってしまうような会話になりやすいと思います。
いや、なりやすかったと思います。個人的に。
その日のライブの感想ぐらいしか言ってなかったので。
一方認知がもらえたことで、過去の特典会で話したことの続きを話せることが増えたと感じています。
複数回続く長編の話題になるわけですよね。
こうして推しと自分で共有しているもの(話)があるって、素敵だし幸せですよね(恍惚)
4.オチ
認知は莫大な精神的財産(ドヤ顔)